私がやっている剣道について

またまたブログ更新が大幅に滞ってしまいました。
前回では、圧迫骨折に対する手術治療について述べて、その続きを・・・となっていましたが、少し趣向を変えて内容を綴ってみたいと思います。

私の剣道は中学生から始めました。その後高校~大学生まで12年間続けていましたが、競技剣道として見た場合、特に目立った戦績がないのは言うまでもありません(笑)!ただし、幸運にも中学、高校、大学と常に剣道専門家の指導者が身近にいる環境で稽古をすることができました。当時はよく分かっていなかったのかも知れませんが、振り返ると大変恵まれた環境であったと思われます。

学生時代の川崎医大剣道部師範は三宅大五郎先生でした。先生は明治期に設立された京都の大日本武徳会武道専門学校のご出身でした。便利なwikipediaで見ると・・・「旧制高等学校にも匹敵する教科教育と、時には死者すら出ることのあった激しい稽古が行なわれ、東京高等師範学校、日本体育専門学校、国士舘専門学校と並ぶ、国内屈指の武道家育成校であった」とあります。時には死ぬことある(いったいどんな稽古だったんでしょう?)とは現代では想像できない世界です!

しかし、三宅先生は細かい技術論はさておき、常の稽古では本気で私を含めた剣道部員に稽古をつけてくれていました。あくまでも全く敵わない先生にまっすぐ懸かっていく稽古でしたが、少人数のためか一度の稽古に2回ぐらいは稽古できたのです。「渋谷君、もう一度きなさい」という先生のお声が今でも耳に残っています。医科大学剣道部の稽古なので、根本厳しくないし、厳しくやりようもない部分があったのですが、地道に続けていると高校時代の剣道とは異なったスタイル、技の幅に少し広がりが出てきました。また、それにつれて中四国医科学生剣道大会、西日本医科学生剣道大会などでも試合に勝ちあがっていけるようになりました。

剣道部主将の役割も経験し、大学3~4年頃は、師範の三宅先生に数多くお話を伺う機会が増えました。結果としては過去何年かを含め、大会の戦績が低調低迷していることについての苦言を示されました。医科大学剣道部では、どうしても全員が剣道歴が豊富なわけでもなく、時には大学生になってから剣道を始めた先輩が主将を務めていた時期もあります。「何となく稽古して、何となく大会に出場する姿勢ではダメなんだ。大会での結果を求める!」これをスローガンにして主将権限も活用し、部内の試合出場メンバーの選考方法、普段の稽古内容、試合前合宿の内容を変更し、試合対戦相手の事前分析の徹底などを取り入れていきました。

やはり考え方、取り組み方法を改めると、普段の稽古もメリハリのきいた充実した内容になりますし、試合の結果も勝利という形が得られるようになってきました。そもそも同じ医学部もしくは医科大学学生同士の試合、大会ですので稽古環境、稽古にさける時間などがイーブンな相手に対し、きっちりした考えもって勝ちにいけたという事実は、私にとって大変貴重な経験になりました!

そんな学生時代が終わって25歳の春に医師国家試験に合格後、さっそく香川医科大学(現、香川大学・医学部)整形外科で研修医としての生活がスタートしました。これが想像以上に厳しい生活の始まりでした。毎日がきつくて、病院で合宿みたいな感じす。同期の新米ドクター4人と四苦八苦しつつ、時には言い合ったり、助け合ったり、慰めあったりしながらの超長時間勤務に従事していました。患者さんの診察ももちろんやりますが、ほとんどが先輩、指導医からの指示で膨大な雑用と、急な学会発表を指示されたりして、その準備などに追われていました。残念ながら剣道をやる、やりたいという感覚は数年間のうちには全くなくなってしまいました。

そして、あっという間に25年近く経過して現在に至るわけですが、約2年半ほど前から剣道を再開しました。「剣道やってみてどうなの?」と聞かれたとすれば、「もう一度やるようになって本当に良かったと思う」という答えになります。再開して6か月後には初回の四段昇段審査で合格することができました。日々の診療、実務を別として、ここ数年来で最大級の達成感を感じ得ることができました。巡り合えた新たな指導者の先生、剣友の存在は非常にありがたく、感謝の気持ちしかないと思っています。剣道自体には、日本の伝統芸能文化的側面があり、大人の剣道では身体的能力、竹刀操作の技術、これに加えて相手との理合(わかりやすくいえば駆け引き)が、より重要視されます。ここが難しいところなんですが、理解して実践しようという心がけのあるなしが大事なところです。

そして実際の自分の本業にも通じることもあり、さまざま感じることも増えてきました。折に触れ、これらの部分もこのブログで述べていこうと考えています。どうかお付き合いください♪
では