小保方さんの手記について思うこと

小保方さんが手記を出したようです。ご存じの方も多いでしょう。私は読んでいませんが、今後も彼女の書籍を購入することもないと思います。報道されている限りでは、不正と判断されたデータに関しては今でも単なる勘違い、間違いであり、STAP細胞があると信じているようです。

実験データにおける数々の疑義については知られている如くですが、特に早稲田大学の博士論文に使われていた蛍光顕微鏡組織写真が、Natureに掲載された論文において、そのまま使用されていたことは本当に驚きました。少々ですが研究に携わった私の経験からも、あり得ない間違いだと思いました。彼女は相変わらず「単なる取り違え」と主張していますが、信じてもらえなくても当然でしょう。

小保方さんのことは別にして、なぜこのような研究不正が起こるのでしょうか?その理由として最近よく語られるのが、「研究機関の競争・市場原理が強くなったことによる競争の激化」、「加熱した競争が与える研究者に対する心理的圧迫」などが挙げられています。不正にはいくつかのパターンが存在し、詳細は省きますが、かなり以前から今日に至る研究の歴史において存在しています。近いところで、医療の実臨床に強く関わる研究不正では、降圧薬バルサルタンの臨床研究において、データが人為的に操作されていた事件がありました。ですが、これ以外にも調べたら本当に数多く出てきます。

私には、単に研究の競争激化が原因とは思えないのです。研究不正は発覚しても刑務所に行くことは通常ありませんが、研究者communityにおいては重大な犯罪行為とみなされているはずです。また、一般的な世の中でも様々な犯罪があります。重大犯罪には殺人が挙げられます。誰でもそう思っています。ものすごく腹が立って「こんちくしょー、殺してやる~」となっても、思うだけなのと、実際に殺してしまうのでは天と地ほどの差があります。普通の人はその境界が明確で、踏み越えることがないのです。従って、研究不正に邁進してしまう人は、そういう意味での境界を平気で踏み越えることができる人だとも言えます。

研究不正にも殺人事件にも、その動機に深く横たわっているのは、おそらくむき出しのエゴでしょう。些細なことから大きなものまで、誰にでもエゴはあります。いかに自分で上手くコントロールできるかが重要です。おそらく研究の世界だけの問題ではないのだと感じています。